立川志の輔×渡辺正行「座布団におねしょを!?」スペシャル対談 (4/6ページ)
立川 道頓堀劇場で頑張ってるのは知ってたから、「やったな、ナベちゃん」って思ったなあ。そしたら、ある日、ナベちゃんが、渋谷にある俺の勤務先にやって来た。そのとき、「今度、道頓堀劇場にコントを観に来てくださいよ。入り口で言ってくれれば、入れるようにしておきますから」って誘ってくれたんだよね。
渡辺 はい、覚えてます。
立川 で、一度行ったんだけど、入り口の人に「あの、渡辺君のコントを観に来たんですが……」と伝えたら、「ああ。コントだけだよ」って言われたのを、いまだに覚えてる(笑)。コントが始まったら中に入れてもらってね。落研時代のように、「ナベちゃんはホントに面白いなあ」と、つくづく感じたよ。
渡辺 いえいえ、そんな。
立川 その気持ちはずっと変わらない。俺が毎年欠かさず足を運んでる新橋演舞場で行われる『熱海五郎一座』(座長・三宅裕司)の公演で、メンバーのナベちゃんの芝居を目にしては、いつも同じことを感じてるよ。
■志の輔落語に広告の影響が!
――そんな志の輔さんが落語家の道に進んだのは、83年1月。リーダーがすでに『オレたちひょうきん族』(フジ系)でビートたけし(73)や明石家さんま(65)と共演しているときに会社を辞め、もうすぐ29歳になるというタイミングで立川談志師匠の門を叩いたのである。
渡辺 僕、このときも驚いたんですよね。役者を諦めてまで広告代理店に入ったわけだから、CMなどを制作するディレクターとして活躍していくんだろうと思ってたので。
立川 もちろん、広告の世界も楽しかったんだよ。当時、コピーライターでは糸井重里さん、CMディレクターでは川崎徹さんという偉大な存在を知り、広告という芸術を生み出す面白さを知った。そこで学んだことは、今でも、自分のライブの企画や構成、演出などにすごく役立ってるしね。