迷信?はたまた先人の知恵?日本で大流行したあの疫病と「赤色」の奇妙で不思議な関係 (4/5ページ)

Japaaan

伊豆半島では源為朝(鎮西八郎)が疱瘡神を退治したため疱瘡が流行しなかったという伝説があり、疱瘡神が寄りつかないよう家の戸口に「鎮西八郎為朝御宿」と朱書した紙を貼ったり、あるいは祟り除けの赤い幣を立てたりしました。

このほか、赤い紙で作った人形や達磨、赤い頭巾や手ぬぐいなどなど、赤色のアイテムが「疱瘡除け」に用いられた話は、全国的にも枚挙にいとまがありません。

以上は民間信仰レベルでの話ですが、さらに村のお祭りなどでのレベルでも、疱瘡除けの赤色はよく用いられました。

長野県の若宮八幡社には金毘羅様と並んで、赤く塗られた疱瘡神の社殿があります。その周辺地域では、正月にまつるしめ縄を、半分ほど赤く塗る風習が長く続いていたとか。

また、民間信仰やお祭りなどにとどまらず、赤色が持つ霊力を表現した芸術品もあります。江戸時代末期に登場した「疱瘡絵(赤物)」です。

これは疱瘡にかかってしまった子供を慰めるために、お見舞い用などで作られたもので、回復すると焼いたり川に流したりしたそうです。

疱瘡絵によく描かれたのが、先述した鎮西八郎為朝や、中国の故事に登場する「鐘馗(しょうき)」、また同じく中国の幻獣である「猩々(しょうじょう)」などでした。現存する疱瘡絵の多くは赤色で描かれており、また猩々そのものも全身が朱色の長い毛で覆われているとされています。

「赤色」に秘められた不思議

もちろん、こうした「赤色による病魔退散」のイメージは、科学と医学が進歩した現代から見れば迷信以外の何物でもありません。ただ、歴史の不思議なところで、そうした迷信には、実は意外な効果を持つものもあったようです。

例えば、先に挙げた、疱瘡の患者の周囲を赤色ずくめにする治療法(おまじない?)は、紫外線を遮って皮膚の炎症を抑えるという意味ではあながち馬鹿にできません。

また、古墳時代の墳墓では、古墳内部の石室の内側や棺などに、赤色の顔料(朱)が大量に用いられていました。呪術的意味合いもあったと思われますが、この顔料には水銀が含まれていたことから、防腐剤としての効果もあったようです。

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