清原和博バット投げ、金田正一顔面キック…プロ野球「衝撃の大乱闘」舞台裏 (1/2ページ)

日刊大衆

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「少しでも情が通うと遠慮もする。だから僕が現役の頃は、特に他球団の野手には、あえて近寄らないようにしていました。内角攻めを怖がるようじゃ、投手は務まりませんからね」

 阪神で一時代を築いた、野球解説者の藪恵壹氏がこう証言するように、ひと昔前のプロ野球は現在と異なり、誰もが血気盛ん。両軍入り乱れての大乱闘は、試合の“華”の一つでもあった。

 そこで今回、球史に残る乱闘事件の裏側を徹底取材。“あの頃”の裏側を、関係者の証言で明かしていこう。

 まず真っ先に思い出されるのは、やはり、この人。歴代ダントツの通算196死球を誇る清原和博だ。

 1989年9月23日の西武球場。かねてより執拗な内角攻めに遭っていた清原は、ロッテの平沼定晴から受けた死球についにブチギレ。バットを投げつけたその勢いのまま、平沼目がけて、マウンド付近でヒップアタックをお見舞いした。

 ロッテの正一塁手として、その一部始終を目撃していた愛甲猛氏は言う。

「俺らの間じゃ、道具は使わないっていうのが暗黙の了解。キヨがあそこでバットさえ投げてなきゃ、当てたこっちが悪いですんだ話でもあったんだよ。ちなみにあのとき、一番怒ってたのは山本功児さん。翌日ロッカーまで謝りに来たキヨも、功児さんにクンロク入れられて大泣きしてたよ」

 とはいえ、そこは男気あふれる“昭和男”たちの集まり。遺恨が残るようなことは、なかったという。

「ネットなんかには、平沼が仕返しのために待ち伏せをしたとか、尾ヒレのついた情報が載ってるけど、真相は単にニアミスをしただけ。当のキヨだって、すぐ(マイク・)ディアズに捕まって顔面に何発ももらってたし、そこは両者痛み分けだから」(愛甲氏)

■ヤンチャ伝説は止まらない

 その後、“番長”キャラの巨人時代には、前出の藪恵壹氏とも因縁の間柄に。

 舞台は97年8月20日、東京ドームでの対阪神戦。

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