なぜ織田信長は強大な軍団を築けたのか?その理由は卓越した先見性と情報収集力にあった【前編】 (1/4ページ)

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なぜ織田信長は強大な軍団を築けたのか?その理由は卓越した先見性と情報収集力にあった【前編】

安土桃山時代の礎を築いた織田信長(おだのぶなが)。名のある戦国大名が群居する中で、天下統一を目指せた強大な軍団をいかにして築いたのか。

その理由は、信長の持つ卓越した先見性と情報収集力にありました。前編では、信長の先見性に焦点をあて、その強さを探っていきましょう。

いち早く着手した兵農分離

清須城。信長は城下町に農民の二男三男を集め、常備軍団を構築した。(写真:清須城天守閣)

織田信長の先見性を語る時、外せないのが「兵農分離」政策を行ったことです。戦国時代は、武士は主君の本城がある城下町に屋敷を持つとともに、領地にも城や館を構えていました。そこでは、家臣や農民が耕作を行っており、いざ出陣となると農民を兵隊として徴用していたのです。

戦国時代、戦闘に参加したのは武士だけではありません。割合からすれば、3割が武士で、7割が農民(農兵)でした。戦国大名にとって一番大切なものは、財力です。財力がなければ兵隊を養えませんし、武器も買えません。従って、領地からとれる農作物、とりわけ米は大切な収入源であったのです。

したがって、田植え(4月頃)と稲刈り(10月頃)の時期には戦争はできません。1年を通じての継続した戦争は不可能でした。

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