なぜ織田信長は強大な軍団を築けたのか?その理由は卓越した先見性と情報収集力にあった【前編】 (2/4ページ)

Japaaan

他国へ遠征中に田植えと稲刈りの時期になってしまったら苦労して得た戦果を放棄し、いったん自領へ帰らなくてはならなかったのです。

ですから、多くの戦国大名たちは、農閑期を中心に合戦を行っていました。

農兵は足軽として戦闘に参加し、軍事力の重要な一端を担った。(写真:ウイキペディア)

しかし、信長は、農民の次男三男を農地から引き離し、清州などの城下に移住させ、給金を払い職業軍人化しました。そして、兵力を城下に集中させたことで命令系統がスムーズになり、軍団としての機動性が大幅に高まったのです。

兵農分離を行い、常備軍団を保有したためいつでも戦え、遠征も容易に行えるようになりました。もちろん、兵農分離には、職業軍人に支払うための財力が必要でした。その財力を賄うため、信長は商業を重視する政策をすすめたのです。

商業重視の経済政策

熱田神宮。門前町は商業都市として、多くの商人で賑わったという。

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