まさに蘭学の化け物!江戸時代、前野良沢が『解体新書』に名前を載せなかった理由とは (5/6ページ)
「これで、良かったんじゃろうか……」
「当人の希望とあれば、仕方あるまいのぉ……」
玄白たちにも周囲からのプレッシャーなど出版を延ばせない事情があり、誰もが譲れないギリギリでの決断だったことでしょう。
エピローグ「蘭学の化け物」もちろん、良沢にしても出版をいくらでも延ばせる余裕があった訳ではなく、中津藩中では周囲からさんざんプレッシャーをかけられていました。
「何だ、アイツは藩医のくせにロクすっぽ患者の診察もせず、よくわからん南蛮の書物など読みふけって……」
「しかも、せっかく翻訳した『解体新書』に名前も載せてもらえなかったと言うから、よほどの無能者と言わざるを得まい……」
自分の美学ゆえに名誉を手放してしまった決断を後悔はすまい……周囲の嘲笑に耐えながら辛い日々を送っていた良沢でしたが、中津藩主の奥平昌鹿(おくだいら まさしか)だけは彼を高く評価していました。
「患者を診るのも医師の仕事だが、天下公益のために医学を究めることも立派な仕事……そなたの蘭学に対する情熱は、まさに化け物とも評すべきじゃ」
主君の理解に感銘を受けた良沢は、蘭学の化け物、略して「蘭化(らんけ)」と号するようになりますが、まさに知己を得た思いがしたことでしょう。