蟻の街のマリアと呼ばれた北原怜子(きたはらさとこ)の慢心と回心 (2/5ページ)

心に残る家族葬

上も下も関係なしに、肩を並べて、一緒に悩み、一緒に苦しむことなんです」(松居桃楼「アリの街のマリア 北原怜子」)

これは介護や看護、医療にも通じることだろう。同じ目線で寄り添うこと。例え見た目は頭を下げていても、高所高台にいる限り見下ろしていることには変わりはないのだ。

余談だが、この時の怜子と松居のやり取りは漫画「あしたのジョー」の場面を思い出させる。ヒロイン的存在で財閥令嬢の白木葉子は月一回少年院を訪問するという慈善活動を行なっていた。矢吹丈はその行為の底にある偽善性を見抜き「令嬢の気まぐれ」と厳しく批判した。

■北原怜子は慢心と回心を繰り返した

とはいえ、松居のこの指摘は厳しすぎるようにも思える。松居も普通の例えば学生のボランティア活動にここまで言ったとは思えない。松居には怜子がクリスチャンとしての使命感に満ちていたこと。それこそが鼻につく、大いなる傲慢としか見えなかったのだ。打ちひしがれ、蟻の街を離れた怜子はふとしたことから、めくった聖書の一節に心を打たれた。

「主は富んでおられたのに、あなたがたのために貧しくなられた。それは、あなたがたが、キリストの貧しさによって富む者となるためです」(コリント人への手紙 第二 第8章9時節)

神の子イエス・キリストは貧しい大工の子として生まれ、十字架の上で死んだ。それに比べて自分は、たかが子供に勉強を教えたり、食べ物を恵んだくらいで何かをしてやったつもりでいた。松居の指弾は聖書の教えそのものだったのである。いや、神様がお叱りになった。怜子にはそう思った。そして怜子は自らバタヤとなり、蟻の街の子供たちと共に廃品回収業に勤しむことになる。怜子は傲慢から解き放たれ回心したのである。

■蟻の街のマリアと呼ばれ、映画化もされた北原怜子

怜子はバタヤとして廃品回収に務め、病人の世話をし、子供たちに勉強を教えた。夏休み旅行に行くことなど思いもよらない子供たちとの箱根旅行も、子供たちと力を合わせてバタヤで稼いだ金で実現させた。この時はさしもの松居も驚嘆した。さらに誕生会や運動会などのイベントも立ち上げ、初めは渋々参加した大人たちの好評を得た。働くことだけで精一杯だった蟻の街の住民たちに笑顔が宿る。

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