蟻の街のマリアと呼ばれた北原怜子(きたはらさとこ)の慢心と回心 (4/5ページ)
その際、松居は北原怜子の著書「蟻の街の子供たち」を持参し、担当者も大いに感銘を受けたという。そのことが交渉の成功につながったと松居は書いている。怜子はその結果を見届けると、この世における目的を果たしたように蟻の街で命の灯火を消した。1958年1月23日 怜子帰天。享年28歳。最後までほほえみを絶やさなかったという。葬儀では数百人の会葬者が歌う聖歌に送られ、怜子は愛する蟻の街を旅立った。
■列福運動によって「尊者」の名が与えられた北原怜子
ローマカトリック教会では生前の徳や聖性、奇跡が認められた者に称号を与えられることがある。調査の結果で認められるとまず「尊者」の名称が与えられる。その後も精査が行われ、さらに優れた業績が認められると「福者」となり(列福)、最高位の「聖人」の名まで用意されている(列聖)。怜子の死後も列福運動が行われており、2015年1月23日怜子は「尊者」の名が与えられた。北原怜子の名が後世に伝えられ讃えられることは喜ばしいことである。しかし天国の怜子はそのような名称云々よりも、現代の恵まれない人たちの身を案じているのではないだろうか。
■その後の蟻の街と現在
北原怜子28年の人生は回心の連続だった。回心したと思っていた自分の傲慢に気づき(気づかされ)再び回心していく人生だった。聖書に「悔い改めなさい。天の御国は近づいた」(マタイの福音書 第4章17節)とある。批判も病気も全ては天国へ行く糧だったのかもしれない。命は神から頂いたものであり、決して粗末にせず懸命に、慢心せず謙虚に生きなくてはならない。怜子の人生はそれを教えてくれる。
蟻の街はその後、移転先の埋立地が繁華街から遠く廃品回収には不向きな土地であったことから、街の人々は少しずつこの地を離れていった。移転後まもなく建てられた「蟻の町教会」、現在の「カトリック潮見教会」(江東区 潮見)がその名残りを伝えるのみである。教会堂には「蟻の町のマリア」の名が冠せられ、近くには怜子の像と顕彰碑が立つ。像には聖母マリアの言葉が刻まれている。