謎に包まれた山城「吉備鬼ノ城」伝説の鬼、温羅の正体は?桃太郎伝説に迫る! (2/4ページ)

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これは都城や寺院の建物の基壇にも用いられており、高い技術なのだとか。

謎の古墳大国、吉備王国と百済の皇子亡命説

そもそも城がある吉備の国の自体が、「こうもり塚古墳」など巨石古墳が多く残る謎の王国。5、6世紀ごろには巨石文化が熟し、もうその頃には製鉄技術が盛んだったといわれています。その製鉄技術を持ち込んだのが、朝鮮から渡ってきた百済の民族。

岡山に伝わる「桃太郎」のベースになった伝説では、〈「白村江の戦い」で唐・新羅連合軍に滅ぼされた百済の皇子「温羅」が日本に亡命してきて、この地に城を築き先進技術を広めて力を強めた。しかし近隣から婦女子や物資を奪うなど暴挙を働いたため、大和朝廷から「吉備津彦」が派遣されて滅ぼした〉とされています。

吉備津彦命は『古事記』『日本書紀』に登場する皇族で、第七代孝霊天皇の皇子。

しかし、前述した「白村江の戦い」は7世紀。これは大和朝廷が、百済に救援を要請されて援軍を出したにも関わらず、敗れてしまった戦いです。

その百済の皇子「温羅」がわざわざ同盟国の日本に亡命して、悪さを働いたというのは少し理解しがたい行いに感じます。なので、唐・新羅連合軍が次は日本に戦を仕掛けるのではないかと恐れた大和朝廷が、吉備王国に命じて城を築かせたともいう説が有力です。

鬼の「温羅」は実在したのか?

そうだとしたら、なぜ温羅が悪者とされた伝説が生まれたのでしょうか。
「鬼ノ城」の音に秘密がありそうです。
そもそも「き」とは古代の城柵の「柵(き)」のこと。垣や堀など外敵を防ぐための構築物を「柵(き)」と称しました。
そして城の城郭線がぐるりと周囲をめぐるような形を朝鮮語で「ウル」といいます。
ということはウルが「温羅」になり、「柵(き)の城」が「鬼ノ城」となった可能性も。

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