大晦日・お正月・節分・お盆をつらぬく日本文化の「根っこ」とは?【前編】 (4/5ページ)
Wikipedia『追儺』吉田神社での追儺 『都年中行事画帖』(1928年)より
この追儺の儀式が、節分の豆まきの原型です。大晦日のケガレ払いも、節分の豆まきも、もともとは同じ根っこから生じたものだったのです。
追儺の儀式が節分の夜の行事となったのは、平安時代以降のことです。
なぜそうなったのかというと、季節の変わり目において生命が危機的な状況に晒される点が、大晦日も節分も同じだと考えられたからです。
節分の時期は季節の分かれ目でまだまだ寒く、体調を崩しやすいですよね。ちょっとした風邪が大病につながり、深刻な事態に陥ることもあります。ですから、追儺の儀式をこの時期にも行うようになったのでしょう。それが民間にも広まっていったのだと思われます。
節分の豆まきでは「鬼は外、福は内」というかけ声が定番ですが、もともとは「鬼」という言葉も「隠(オン)」に語源があり、病や災害などの不幸を表していました。人々は、大晦日のみならず節分の時期にも、病魔を鬼と見立てて追い払うようになったのです。
ちなみに、追儺の儀式そのものは平安時代から存在すると書きましたが、鬼を追い払うために豆をまくようになったのは室町時代からだそうです。