大正〜昭和初期にマルチな才能で活躍した「小村雪岱」の洗練されたモダニズム (6/6ページ)
細鋭な線とベタ(黒塗り)で描かれる絵のバランスの素晴らしさは、悲しさややるせなさといった人間の感情を静かにそして荒々しく描き出しているように思えます。
お傅地獄の色刷絵
浪之助「お伝」
伝「え」
浪之助「もっとこっちへ寄ンねえ」
伝「あい」
浪之助「おめえ夜っぴて俥で帰(けえ)って来た上に、あんな騒ぎをやったんで、
くたびれたろう」
・・・
市「お伝」
伝「あい」
市「おれ、どうでも気が済まねえかえら、やっぱりおめえは先へ帰(けえ)ンねえ」
伝「あたしを帰してお前さん、どこぞへ行く気じゃないのかえ」
・・・
上掲の2点の絵、背景にセリフが書き込まれているのがお分かりでしょうか。絵の下記にその一部を記してみました。
これは新聞小説『お傅地獄』の挿絵の何点かを色刷りし、新聞記事上では余白になっていた部分に小説の中のセリフを描き込んだものだと思われます。
この絵の色合いそして人物の居ずまい等々が既にそれだけで素晴らしい作品として完成しているものに、更に“文字”を描きこもうという発想自体が今で言う高度な“グラフィックデザイン”の感覚を感じさせます。
小村雪岱は5歳の頃、両親をなくし親戚を転々とした末に叔母の世話で日本橋檜物町に住む“書家”の安並賢輔の学僕となり後に養子となりました。多感な時代を「書」に接していたということは雪岱に大きな影響を与えたでしょう。
27歳の頃、小村雪岱は創設間もない「資生堂意匠部」に在籍し、装幀や雑誌そして和文ロゴタイプの作成に携わり、後に「雪岱文字」と言われるタイポグラフィを生み出しました。
風景画
上掲の作品を“風景画”というカテゴリーに加えることに迷いがありました。なぜかというとこの作品には“静物画”のような佇まいがあります。
一枚一枚丁寧に書かれた屋根の瓦。そして家に降りかかるように青柳が枝を垂らしています。その新緑のような色の清潔な青畳の中央に整然と並んでいる三味線と鼓が二つ。
確かに誰かがここに居たのだという気配を感じさせながら、ただ静かな時間だけが切り取られているようでもあります。
小村雪岱が15歳の頃に住んでいた“日本橋檜物町”は江戸時代から戦後まで一帯に花街が広がっているような場所でした。日本髪に着物姿の花柳界の女性や江戸の雰囲気が多少なりとも残っていたであろう町で育ったことも、小村雪岱の画風に関係があるとも考えられます。
このような景色も小村雪岱にとっては珍しい場所ではなかったのかもしれません。
まとめ今回紹介した「小村雪岱」の作品は数多くある作品の一部に過ぎません。数々の傑作をあらゆる角度から企画した【特別展 小村雪岱スタイルー江戸の粋から東京モダンへー】という美術展が三井記念美術館で2021/2/6(金)~2021/4/18(日)まで開催されています。
評価されるに遅すぎたと思われる「小村雪岱」氏の作品を是非その目でご覧になり感じいただければと思います。
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