勝てば何でもありじゃない!源義経の命令で射殺された黒革縅(くろかわおどし)の鎧武者 (4/5ページ)
(……それをあえて射殺すなんて、義経とは何て野暮で卑怯な大将なのだろうか……)
鎌倉殿である源頼朝(よりとも)公の弟御なればこそ、真っ向から批判する者は少なかったでしょうが、心ある武士たちの多くはそのように思ったことでしょう。
敵の強さを賞賛し、それを倒すことによって自らの強さを証明する……そうした武士たちの価値観や美学を尊重せず、勝つためならば手段を選ばず、その手柄はすべて自分のもの……そりゃ義経が御家人たちから嫌われ、孤立していったのも無理からぬところです。
かくして勝利を重ね、高慢になる義経を「お前そんなんじゃダメだよ。大好きな兄上(頼朝公)に嫌われちまうよ」と諫めたのが梶原景時(かじわらの かげとき)。
義経のあることないこと頼朝公へ讒訴(ざんそ。嘘の訴え)し、ついには破滅へ追い込んだことから「日本三大悪人(残りは高師直、松永久秀)」にされてしまった景時ですが、彼としてみれば、みんな(何より頼朝公)のため、あえて「汚れ役」を引き受けたのでした。