すべては御家のため…戦国時代、骨肉の争いを繰り広げた香宗我部 兄弟のエピソード (4/5ページ)
(孫十郎よ、許せ……これも香宗我部の為ぞ!)
「おのれ兄上……権之助、新助、そなたらだけでも逃げ延びよ……!」
「「父上……っ!」」
権之助と新助は母方の実家である細川定輔(ほそかわ さだすけ。宗桃)に保護されて事なきを得ます。
かくして男子のいなくなった香宗我部家は弘治4年(1558年)、弥七郎を婿養子にとってその家督を継がせ、親秀はその補佐を務めたのでした。
伯父と和解して、香宗我部家を盛り立てるさて、父・秀通を殺され、身を潜めていた権之助と新助は、やがて元服して香宗我部秀長(ひでなが)、香宗我部秀政(ひでまさ)と改名。苦難の日々を送っていたところへ、父の仇である伯父・親秀から便りがありました。
「父上の事については、本当に申し訳なかった。これも香宗我部の家を思ってのことゆえ、どうか堪忍してもらいたい。家督を継いだ弥七郎殿は見込み通りに英明で、主君となった長宗我部家の右腕として大いに辣腕を奮っている。どうかそなたたちも戻ってきて、弥七郎殿を補佐してもらいたい……(大意)」
ただし、今や弥七郎が継いだ香宗我部を称するのは何かと不都合なので、親秀の隠居料(領地)である中山田(なかやまだ。現:高知県香南市)が譲られ、その地名を称することに。
また、香宗我部≒長宗我部家に臣従する証として、秀長は弥七郎の諱(いみな。実名)である親泰から「泰」の文字を拝領して中山田泰吉(なかやまだ やすよし)と改名。父と共に香宗我部家を盛り立てたのでした。