日本でのホスピスやターミナルケアの原型となった「二十五三昧会」 (2/4ページ)

心に残る家族葬

もう1人が念仏を唱えた。臨終後も定められた墓地が用意され、その後も定期的に永代供養のような形で念仏会が行われる。死後も続けられる念仏会は往生したメンバーとの縁を絶やさないためのものであった。そこには現代社会が抱える孤独死や、無縁社会などの問題に対応する機能が含まれているように思える。二十五三昧会は出家して家族や世間との縁が途切れた僧侶たちによる、看取り・ホスピス機能を有した相互扶助共同体的な結社であった。

■そもそも念仏結社とは何なのか

念仏結社の歴史は古い。402年、浄土仏教の祖とされる中国・東晋の高僧 慧遠(334〜416)が念仏結社「白蓮社」を主宰し、同志と共に念仏三昧の日々を送った。しかしその目的は、あくまで自分たちの往生、悟りのためであり、大乗仏教が強調する利他性に欠けていた。白蓮社の思想自体は興味深いものだが、後の浄土仏教とは直接つながっていない。法然(1133〜1212)、親鸞(1173〜1262)らに連なる大乗浄土仏教とは別物であると考えた方がよい。また、二十五三昧会の少し前に保胤が比叡山の僧らと「勧学会」という集まりを主宰していた。こちらは詩を作るなど趣味のサークル的な意味合いが強い。
これらの組織に比べると二十五三昧会が「慈悲」の精神をもって他者の救いを説く大乗仏教の精神に基づく集団であることがわかる。彼らは積極的にメンバーの葬儀を行ったことにも注意されたい。この当時死体は最大の穢れ「死穢」とされていた。穢れを超える浄土と念仏の教えは後の法然に受け継がれ、鎌倉新仏教の大きな潮流を生むのである。

■鳴り響く光の念仏

五感の中で最後まで機能するのは聴覚だという。そうであるなら臨終を迎えるメンバー=往生人は息を引き取る寸前まで同志たちの念仏に包まれることになる。「南無阿弥陀仏」の念仏は阿弥陀仏に南無=帰依するの意で、「聖なる光の言葉」と言い換えてもよい。聴覚を通じて薄れゆく意識に念仏が届くとするならば、往生人の意識に阿弥陀仏=光のイメージが浮かび上がり、聖なる光に包まれて穏やかな臨終を迎えることができる可能性がある。そうだとしたら臨終の際に阿弥陀仏が迎えに来る様を描いた「来迎図」はそのような光の映像を描いたものなのかもしれない。死後の世界が存在するか否かは筆者にはわからない。

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