日本でのホスピスやターミナルケアの原型となった「二十五三昧会」 (3/4ページ)

心に残る家族葬

例え死が意識の消滅であるにせよ、縁を結んだ同志たちの光の念仏と光のイメージに包まれながら、光に溶けこんでいけるのだと考えられれば、穏やかな気持ちで死を受け入れられるのではないか。現代のホスピスやターミナルケアの現場においても参考になるはずである。


■死ねない時代

現代は“死ねない”時代である。医学の進歩は日進月歩であるが、未だ原因不明の病気は数多く、新型コロナウイルスの収束の目処はついていない。日本人の2人に1人はガンで死亡すると聞く。しかし医学の延命技術は中々我々を楽にしてくれない。これは「往生要集」が描く「等活地獄」そのものである。地獄の亡者は獄卒によって肉を切り刻まれ骨を粉々に砕かれる。しかし涼しい風が吹くと生き返り元の姿に戻る。そしてまた責め苦を受けるのである。等活地獄の「等活」とは「等しく活る(よみがえる)」の意である。死ぬに死ねず生きるに生きられぬ状態は、まさに地獄だ。1999年の「東海村JCO臨界事故」で放射線被爆した作業員男性は、2ヶ月近く苦痛に喘いだあげく心停止したが、心臓マッサージにより蘇生。心肺停止の影響でさらなる苦痛に数ヶ月苛まれ死亡したという。医師の使命は理解できるが果たしてそれは正しかったのか。

■個の時代

また、現代は「個」の時代でもある。個性と自由が重視され、組織に埋没せず、古い慣習に縛られず、自分らしい生き方を探す時代である。一方で人間関係の希薄さ、他者への無関心、伝統的家族構成や地域コミュニティの崩壊など、負の側面も進行している。これらが孤独死、無縁社会といった問題の一要因であることは間違いない。「個」の果てが「独りで死ぬこと」で終わるのはある意味当然である。

■現代に通じる「二十五三昧会」

二十五三昧会を現代に復活させようという動きもある。兵庫県の「観瀧山 岡本寺」は曹洞宗の寺院で念仏は行わないが、「メンバーの誰かが倒れた時に、介護し看取りまで行う」「看取りの共同体」的な部分に着目し、毎月1回福祉・介護・医療などの勉強会と、「お互いの『看取り』まで出来るような信頼関係」を築くための交流会を行っているとのことである。

毎月の集会で同志と絆を結び、念仏三昧の時間を共有して後顧の憂いをなくす。

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