2022年大河ドラマ「鎌倉殿の13人」注目の一人!二階堂行政が魅せた影の実力者ぶり (2/6ページ)
ご存じ源頼朝公。彼の描いた「武士の世」を実現するべく、行政はいかんなく手腕を発揮した。Wikipediaより。
その後、母方の実家が熱田神宮の宮司であった伝手で源頼朝(みなもとの よりとも)公に仕え、鎌倉に下向。その詳細な時期は不明ですが、頼朝公が挙兵して鎌倉で勢力基盤を固め、朝廷もその存在感を無視できなくなってきた頃(※)と考えられます。
(※)平氏政権を京都から追い払った木曾義仲(きその よしなか)の粗暴さにうんざりした朝廷が頼朝公に助けを求めた寿永2~3年(1183~1184年)ごろでしょうか。
朝廷との交渉ごとや手続きなど政治的な実務を指導するために派遣されたと見るのが自然ですが、もしかしたら鎌倉の情報を逐一朝廷に報告するためのスパイだったのかも知れません。
『吾妻鏡』での初登場は元暦元年(1184年、寿永より改元)8月、鎌倉政権の公文所(くもんじょ。公文書管理機関)の上棟式で奉行を務め、10月に公文所が完成すると、先に仕えていた大江広元(おおえの ひろもと)を別当(べっとう。長官)に、その兄・中原親能(なかはら ちかよし)と共に寄人(よりうど。スタッフ)として補佐しました。