2022年大河ドラマ「鎌倉殿の13人」注目の一人!二階堂行政が魅せた影の実力者ぶり (3/6ページ)
(※この時、行政が広元&親能兄弟との政治的暗闘を通して頼朝公に惹かれ、忠誠を高めていく様子が描かれると、史実性はともかく胸が熱くなりますね)
鎌倉と京都の架け橋として活躍それからはひたすら日々の仕事を淡々とこなし、文治5年(1189年)7月に藤原泰衡(ふじわらの やすひら)を征伐した奥州合戦で軍(いくさ)奉行を務めた折、由利八郎維平(ゆりの はちろうこれひら。泰衡の郎党)の生け捕りに際して相論をとり裁いた報告書を送っています。
この奥州合戦で討死した敵味方の霊を供養する為に建立された永福寺(ようふくじ。現:神奈川県鎌倉市二階堂)の近くに邸宅を構えたことから、後に二階堂を家名に称しますが、行政が生前称していたのは本姓の藤原で、公文書にも「散位藤原朝臣(さんみ ふじわらのあそん)」と署名しています。