武田信玄が行った人材活用術。それこそが戦国最強軍団を生み出した原動力だった【後編】 (4/6ページ)

Japaaan

家臣が述べた意見がたとえ信玄と違ったとしても、決して怒らずに家臣が意見を言いやすい環境づくりを心がけたといいます。

大切な決定を行う合議の席で、忖度からひたすらに主君の意見に同調するような「イエスマン」を嫌ったのです。

こうすることで、家臣たちが能力を100%発揮できるようにしたのでした。

こうして、成果を上げた家臣には、それに応じた褒美を与え、逆に失敗をしたとしても、名誉挽回のために新たなチャンスを与えました。

このような信玄に対して、家臣達はリーダーとして信頼を深め、その結果、武田家中の結束は、堅固なものとなっていったのです。

 浪人の身分から信玄に登用された山本勘助。軍師として進言を行うとともに、築城や諜報にも才を発揮したという。

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