幕末の女スパイ?尊皇攘夷の志士たちを葬り去った井伊直弼の愛人・村山たかの末路【後編】 (5/5ページ)

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文久2年(1862年)8月27日……『たか』の盟友(愛人?)であった長野主膳は「安政の大獄」の行き過ぎた処罰の引責で斬首。その首級は打ち捨てられました。享年48歳。

同年11月16日……『たか』の息子・多田帯刀は土佐・長州藩士らの襲撃に遭って首をねじ切られ、その首級は晒しものにされました。享年33歳。

「いたぞ!この女狐め、同志の恨みを思い知れ!」

尊皇攘夷の志士たちに捕らわれた『たか』は女性ということで命こそ奪われませんでしたが、髪の毛を丸坊主に剃られた上、冬の三条河原で3日3晩にわたって晒しものにされてしまいます。

三条河原に晒された『たか』。髪を剃られた頭を隠すため布が巻かれ、罪状を記した看板に「かすゑ(かずえ)」とある。右手だけ自由にしてあるのは、せめてもの情けか。Wikipediaより。

「権力の走狗め、ざまぁ見さらせ!」

息子も愛する者たちも喪い、未来への希望をなくした『たか』は金福寺(こんぷくじ。現:京都府京都市)で出家して妙寿尼(みょうじゅに)と改名。寿はかつての変名「加寿江」からとったのでしょうか。

そして明治9年(1876年)9月30日、満67歳の生涯に幕を下ろした『たか』は、今も円光寺(えんこうじ。金福寺の本寺)に眠っています。

【完】

※参考文献:
安岡昭男 編『幕末維新大人名事典』新人物往来社、2010年5月
日本歴史学会 編『明治維新人名辞典』吉川弘文館、1981年1月
松岡英夫『安政の大獄 井伊直弼と長野主膳』中公新書、2001年3月

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