新選組4人相手に死闘を演じ「ぜんざい屋事件」に散った志士・大利鼎吉が詠んだ辞世の心【前編】 (4/4ページ)

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幕末期「禁門の変」の様子を描いた瓦版。

池田屋事件から11日後の元治元年(1864年)7月19日、起死回生を賭けて長州藩が挙兵。世に言う「禁門の変(蛤御門の変)」は会津・薩摩の両藩に敗れてしまいます。

この戦いで御所=朝廷に対して鉄砲を射かけたことから、長州藩は永らく「朝敵」「逆賊」の汚名に甘んじ、苦境に立たされてしまうのでした。

【後編へ続く】

※参考文献:
伊藤成郎『新選組は京都で何をしていたか』KTC中央出版、2003年10月
菊池明『新選組の真実』PHP研究所、2004年1月
田中光顕『維新風雲回顧録』大日本雄弁会講談社、1928年3月

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