新選組4人相手に死闘を演じ「ぜんざい屋事件」に散った志士・大利鼎吉が詠んだ辞世の心【前編】 (1/4ページ)

Japaaan

新選組4人相手に死闘を演じ「ぜんざい屋事件」に散った志士・大利鼎吉が詠んだ辞世の心【前編】

古来「人の生き方は、その死に様にこそ表われる」とはよく言ったもので、死を前にした時の言動は、その人の評価を大きく左右するものです。

往時の人々は、死に際して生涯の集大成とも言える辞世(じせい)を記したのですが、老衰ならともかく、戦場や刑場ではなかなかそんな余裕もありません。

辞世を書く武士(イメージ)。

そこで平素から辞世を作っておくのですが、死を意識することによってここ一番で命を惜しまぬ=後(おく)れをとらぬよう自分を戒めたり、大義を示すことで自らを鼓舞したりしたものでした。

幕末の志士たちもまたそのようにした者が多く、今回は尊王攘夷に生きた大利鼎吉(おおり ていきち)の生涯を振り返ってみたいと思います。

土佐を脱藩、尊王攘夷の志士たちと合流

大利鼎吉は江戸時代末期の天保13年(1842年)、土佐藩(現:高知県)に生まれました。諱は正義(まさよし)、また史料によって正樹(誤記?変名?)とも記されています。

幕末の風雲吹き荒れる文久元年(1861年)、20歳となった鼎吉は同じく土佐の武市半平太(たけち はんぺいた。瑞山)らによって結成された土佐勤王党(とさ きんのうとう)に加盟。尊王攘夷を推進するべく尽力しました。

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