大河ドラマ「青天を衝け」横濱焼き討ち計画を発案した渋沢栄一の師・尾高惇忠の生涯 (4/8ページ)

Japaaan

戊辰戦争では彰義隊に参加するも……

さて、焼き討ち計画を断念しても尊皇攘夷の志やまず、京都へ飛び出していった栄一たちとは別行動をとり、地元を守りながら時機をうかがっていた新五郎ですが、慶応4年(1868年)ついに討幕の火蓋が切って落とされました。

江戸幕府第15代将軍・徳川慶喜。Wikipediaより。

世に言う戊辰(ぼしん)戦争に際しては、京都から逃れて来た将軍・徳川慶喜(とくがわ よしのぶ)を警護するために結成された彰義隊(しょうぎたい)に参加。

そこには、栄一と行動を共にしていた渋沢喜作(きさく。栄一の従兄)が頭取を務め、栄一の養子として江戸で暮らしていた平九郎の姿もあります。

「喜作お前、尊皇攘夷の志で京都へ行ったら、倒すべき幕府将軍の警護とはどういうことだ!?」

「事情が変わったのだ。もはや公武(朝廷と幕府)が力を合わせずして、日本の国難は乗り切れぬ。そのためにも、今は君側の奸(※)より将軍家をお護りせねばならぬ!」

「うーむ……腑に落ちぬが、左様な事情であれば……」

(※)君側の奸(くんそくのかん:主君の側近く仕え、道理を誤らせる奸臣。

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