大河ドラマ「青天を衝け」横濱焼き討ち計画を発案した渋沢栄一の師・尾高惇忠の生涯 (8/8ページ)

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晩年の尾高惇忠。Wikipediaより。

その後、新五郎は富岡製糸場(とみおかせいしじょう。現:群馬県富岡市)の経営や養蚕・製藍の研究に励み、第一国立銀行の支配人(盛岡支店、仙台支店)などを歴任。明治34年(1901年)1月2日、満70歳の生涯に幕を下ろしたのでした。

尊皇攘夷の志に燃えて激動の幕末を駆け抜け、維新なった明治日本の発展に尽力した尾高惇忠。これから大河ドラマではどのような活躍を魅せるのか、好演が楽しみですね!

※参考文献:
山崎有信『彰義隊戦史』隆文館、1904年3月
加来耕三『真説 上野彰義隊』中央公論社中公文庫、1998年12月
菊地明『上野彰義隊と箱館戦争史』新人物往来社、2010年12月
歴史群像シリーズ特別編集『【決定版】図説 幕末 戊辰 西南戦争』学研プラス、2006年7月

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