大河ドラマ「青天を衝け」横濱焼き討ち計画を発案した渋沢栄一の師・尾高惇忠の生涯 (5/8ページ)
ここでは朝廷の権威を濫用し、幕府を滅ぼして権力の掌握を目論む薩長藩閥を指す)
やむなく彰義隊に列した新五郎でしたが、4月に徳川慶喜が江戸の無血開城を決断。謹慎するため江戸から水戸へと退去しました。
官軍への徹底抗戦を訴えた天野八郎(右人物)。月岡芳年「東叡山文殊樓焼討之図」より。
これで無益な戦いは避けられる……そう胸をなで下ろした一同でしたが、喜作に次いで彰義隊の副頭取であった幕臣・天野八郎(あまの はちろう)が徹底抗戦を主張。
「薩長の連中は幕府を滅ぼすつもりだ!今はよくても、ここで戦わねば遠からず追い詰められてしまうぞ!」
結果的にはその通りとなったのですが、喜作は無血開城の上意に逆らっての抗戦をよしとせず、彰義隊を離脱。新五郎たちも袂を別ったのでした。
飯能戦争、平九郎の死「しかし、彰義隊や他の幕臣たちが官軍に抵抗すれば、上様に危険が及ぶやも知れぬ。