前代未聞の敵前逃亡!15代将軍・徳川慶喜が大坂城から逃げた真相に迫る【その2】 (4/8ページ)
江戸城を脱出、大阪湾沖に停泊する開陽丸を目指す徳川慶喜一行。(写真:Wikipedia)
東帰のきっかけになった神保修理の進言ナポレオン3世から贈られたフランス軍服姿の慶喜。(写真:Wikipedia)
徳川慶喜はいつ江戸へ逃げる決意を固めたのか。そして、そのきっかけは何だったのか。それは、1月5日、あの大坂城大広間での大演説の後であったと推測される。
同日深夜、慶喜は松平容保の信任篤い神保修理長輝(ながてる)[会津藩軍事奉行添役]を呼び寄せて謁見した。善後策を問われた修理は、きっぱりと言い切る。