前代未聞の敵前逃亡!15代将軍・徳川慶喜が大坂城から逃げた真相に迫る【その2】 (6/8ページ)
白金の興禅寺に立つ神保修理の墓。修理没後の約半年後、父内蔵助・妻雪子も会津戦争で自尽した。(写真:T.TAKANO)
慶喜が開陽丸で側近に語ったこと
慶喜が開陽丸乗船中に、松平容保と交わした会話がある。主命とはいえ、藩士たちを見捨てて江戸に戻る容保には、忸怩たる思いが纏わりついていたのだろう。やや責めるような口調で、
去る5日、内府様は勇ましい演説を行い、我が軍の士気は大いに盛り上がりました。
お言葉の通り、内府様が出陣されれば、数日の敗戦を覆すことができたはずです。
それなのに、何故、こうも急に東帰することを決心されたのか。