大河ドラマ「青天を衝け」で渋沢栄一の人生を変えた男・平岡円四郎の生涯 (3/5ページ)

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甲府勝手小普請(こうふかってこぶしん)として甲斐国(現:山梨県)へ飛ばされた円四郎は、飼い殺し状態で不遇の日々を耐え過ごし、慶喜が家茂の後見人(将軍後見職)となった文久2年(1862年)、許されて江戸へ戻ります。

公武合体を主導し「天下の権」を握った?円四郎

苦しい時期を乗り越え、忠節を貫いた円四郎は慶喜の信頼を勝ち取り、文久3年(1863年)に慶喜が上洛し、将軍家茂の名代として朝廷と公武合体および攘夷の決行について協議した際も大いに貢献。その活躍ぶりは人々から

「天下の権朝廷に在るべくして在らず幕府に在り、幕府に在るべくして在らず一橋に在り、一橋に在るべくして在らず平岡・黒川に在り」

【意訳】天下を治める権力は朝廷が持つべきところを幕府が握っており、いや、幕府でなく一橋(慶喜)が、いや、一橋でなく平岡円四郎と黒川嘉兵衛(くろかわ かへゑ。慶喜の家臣)が握っているのだ。

……などと噂されるほどでした。

ちなみに、このころ攘夷計画(横浜外国人居留地の焼き討ち)を断念して京都へやって来たものの、尊皇攘夷派の衰退によって活動に行き詰まっていた栄一を慶喜に仕えるよう説得。彼の運命を大きく変えることになります。

焼き討ち計画を練っていた栄一たち。

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