大河ドラマ「青天を衝け」で渋沢栄一の人生を変えた男・平岡円四郎の生涯 (4/5ページ)
もしこのまま決行していたら……?(イメージ)
そんな円四郎ですが、京都で朝廷と幕府の融合を図る公武合体に反対する者の怨みを買い、元治元年(1864年)6月16日、水戸藩士の江幡広光(えばた ひろみつ)、林忠五郎(はやし ちゅうごろう)らによって暗殺されてしまいました。
「公武合体などと、畏れ多くも君臣の義(主君である朝廷と、家臣である幕府との守るべき一線)を侵す不届き者に天誅じゃ!」
尊皇思想の強い水戸藩では、朝廷と幕府が一体≒同列になって日本のかじ取りをするという発想自体が許せなかった(あくまで朝廷の権威に基づき、幕府が世俗の権力を行使する構造を理想とした)のかも知れません。
かくして志半ばに命を落とした円四郎は享年43歳。つい2週間前(6月2日)近江守の官職に叙任され、ますますの活躍を期待されていた矢先の不幸でした。
終わりに「私を一橋家に推薦して慶喜公に御仕へ申すやうにして呉れた人は平岡円四郎であるが、この人は全く以て一を聞いて十を知るといふ質で、客が来ると其顔色を見た丈けでも早や、何の用事で来たのか、チヤンと察するほどのものであつた。然し、斯る性質の人は、余りに前途が見え過ぎて、兎角他人のさき回りばかりを為すことになるから、自然、他人に嫌はれ、往々にして非業の最期を遂げたりなぞ致すものである。平岡が水戸浪士の為に暗殺せられてしまうやうになつたのも、一を聞いて十を知る能力のあるにまかせ、余りに他人のさき廻りばかりした結果では無からうかとも思ふ。」
※デジタル版「実験論語処世談」平岡円四郎と藤田小四郎
【意訳】
私を徳川慶喜に推薦してくれた平岡さんは「1を聞いて10を知る」天才肌で、客が来たらその顔色を見るだけで用件を察してしまうほどだった。
ただし、こういうタイプはあまりに先が見通せてしまうものだから、それがかえって嫌味になって人から嫌われ、往々にして非業の最期を遂げるものだ。