戦国きっての勇将・島左近の墓が京都西陣にあった!旅で見つけた隠れ歴史スポット【前編】 (3/4ページ)
(写真:Wikipedia)
関ケ原で勇戦するも消息不明に
関ケ原に復元された笹尾山の石田三成陣地。(写真:Wikipedia)
1600(慶長5)年、天下分け目の戦いと称される関ケ原の合戦が起こりました。島左近の主・石田三成は、実質上の西軍総大将として、東軍を率い天下取りを狙う徳川家康と戦ったのです。
左近は、この戦いで武将としての力量を遺憾なく発揮します。関ケ原の戦いの前哨戦である杭瀬川の戦いでは、わずか500の兵で、東軍の中村軍・有馬軍を相手に見事勝利をあげました。
本戦においても、石田三成隊の先手大将として、攻め寄せる東軍諸隊を向こうに回して勇戦します。味方が危ういと感じた東軍の黒田長政は、先頭に立ち指揮を執る左近を狙い、側面からの射撃を命じました。
黒田隊の猛烈な射撃を浴びた左近は重傷を負い、緒戦の内に石田隊陣内へ運び込まれました。
左近が負傷したことで、勢いづいた東軍は、三成の本陣に押し寄せます。それを察した左近は、傷の手当てもそこそこに、血槍を振り回し、再度最前線へ突入。怒涛の勢いで迫りくる東軍の大軍の中に、飲み込まれてしまったのです。