戦国きっての勇将・島左近の墓が京都西陣にあった!旅で見つけた隠れ歴史スポット【前編】 (1/4ページ)
旅や歴史についての執筆が多い筆者が、取材などの途中で見つけた隠れた歴史スポットを紹介します。
戦国時代末期に石田三成の重臣として活躍し、関ケ原の戦いで散ったとされる島左近。今回は、その左近を土葬したと伝わる京都西陣・立本寺の墓について取り上げましょう!
まずは【前編】で、島左近とはどのような人物かを紹介します。この記事が、少しでも皆さんの歴史探訪の旅の参考になれば幸いです。
戦国きっての勇将と謳われた島左近
浮世絵に描かれた島左近。(写真:太平記英勇伝 嶋左近友之図)
歴史ファンであるならば、島左近の名を知らない人はまずいないでしょう。
左近とは通称で、本名は島清興(しま きよおき)。戦国時代末期の武将で石田三成の家臣です。元々は、大和国の戦国大名筒井氏の家臣でしたが、後に三顧の礼をもって、三成に迎えられます。
石田三成が近江水口で4万石の大名になったとき、その半分の石高2万石をもって、島左近を召し抱えたということ。