戦国きっての勇将・島左近の墓が京都西陣にあった!旅で見つけた隠れ歴史スポット【前編】 (2/4ページ)

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それほど左近が武将として優れた人であったというわけです。

このような破格の待遇から、

三成に過ぎたるものが二つあり。島の左近と佐和山の城。

(『古今武家盛衰記』)

と謳われたといいます。

 島左近を召し抱えた石田三成。(写真:Wikipedia)

石田家に仕官した左近は三成の恩情に応え、重臣として活躍します。

正式な記録の残っているものとしては、1590(天正18)年の小田原征伐の際には、常陸国の佐竹氏との外交交渉や佐和山領内の年貢徴収の管理など、武将としてだけでなく行政官としても重要な役割を果たしたようです。

 近江水口城。

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