千里眼の能力の持ち主とされていた御船千鶴子の数奇な運命とは (3/6ページ)

心に残る家族葬

時に失敗することも少なくなかったが、千鶴子は次々と言い当てることができた。そうなるとマスコミは「第2・第3の御船千鶴子を探せ!」とばかり、地域の「千里眼」と噂される人々を取り上げ、煽る。煽られて更に、別の「千里眼」が現れる。12月には『東京朝日新聞』が、朝鮮半島の「千里眼」まで取り上げられる格好となっていた。

しかし福来らが行った実験には、「問題点」が多々存在していた。例えば、透視をする際の千鶴子は別室にひとりで籠り、立会人にも背を向けていた。千鶴子は繊細な性格ゆえに、多くの人がそばで見守っている格好の「公的」な科学実験では精神統一ができず、透視に失敗してしまうのだ。そうなると、何か「不正」をしているのではないか。または、何らかの「トリック」があるのではないか、と疑われてしまっても無理はなかった。それゆえ、市民レベルのみならず、アカデミズムの世界においても、「千里眼」という特殊能力に対する議論が喧々諤々状態に陥ってしまった。

■御船千鶴子の自死と死後


千鶴子から少し遅れる形で「透視」のみならず「念写」能力があるとして、日本国内で大いに騒がれていた長尾郁子(1871〜1911)への弾劾記事が、実験翌年の1月17日に掲載された。その翌日、千鶴子は重クロム酸カリを飲み、服毒自殺を図った。猛雄らの手当ても虚しく、1月19日の早朝、絶命した。遺書も遺言もなかった。25歳だった。

千鶴子の自殺の原因としては、長尾に関する新聞記事を読んでから、かなり憤慨していたと伝えられることから、自分の「千里眼」に疑いを持つ人々への苛立ち。また、父親の秀益が「山っ気」の強い人物で、千鶴子の特殊能力を利用してひと儲けを企て、大阪の相場師や鉱山師と勝手に契約したとして、千鶴子と諍いが絶えなかったこと。また秀益は、千鶴子の千里眼を開眼させた猛雄とも仲が悪く、千鶴子はその板挟みで苦しんでいたこと。

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