千里眼の能力の持ち主とされていた御船千鶴子の数奇な運命とは (5/6ページ)

心に残る家族葬

または、たとえ「千里眼」があったとして、それが地域で話題となり、近在の人々に対して「心霊治療」を行うことがあったとしても、「文明開化」後の日本のように、西欧文化・文明の流入による科学主義の勃興、そして新聞という、日本全国に広く伝播するマスメディアの発達を迎えることがなかった江戸時代以前の日本で生きていたとしたら、「大騒ぎ」になることはなく、昔ながらの「拝み屋さん」のように崇敬を集めつつ、自分の能力に誇りを持って一生を全うすることができただろう。しかし、それは叶わなかった。まさに運命の皮肉である。

■最期に…

千鶴子を高く評価していた福来は後に、自身の研究を記した『観念は生物なり』(1925年)において、「近き将来において、必ずや彼女が心霊研究界の明星として、其の光輝を放つべき時の到来することを、私は信じて疑わぬのである」と書き記している。将来、新たな科学技術の発展、そして時代の空気の変転によって、千鶴子の「千里眼」が解き明かされる時がくるかもしれない。そうなると、御船家の墓所は「心霊研究の明星」が眠る「聖地」となり、海辺の町・松合までもが「一大観光スポット」になることだろう。そして毎年6月19日に営まれ、季節の風物詩ともなっている作家・太宰治(1909〜1948)の「桜桃忌」のように「○○忌」と名づけられ、千鶴子の命日・1月19日になると、毎年、千鶴子ゆかりの寺院で法要が営まれ、日本各地から千鶴子を慕う多くの人々が慰霊に訪れることになるのだろう。それは千鶴子が望むことなのか、どうなのか。いずれにせよ、自ら死を選んだ千鶴子の魂の安寧、そして松合の墓所の静寂を、こころから祈らずにはいられない。

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