豊臣は滅んでいなかった?秀頼の死後も豊臣の姓を受け継いだ木下利次のエピソード (3/4ページ)
文字通り「お化粧代に当てるための領地」を意味しますが、女性である高台院に与えられたから、お洒落にこう呼びました(本当に1万5千石/年分の化粧をしていたら凄いですけどね)。
利次は名字を木下に戻し、徳川家の旗本として家名を存続。辛うじて許された豊臣の姓だけを細々と次世代へ受け継いでいくのでした。
とまぁ話はこれでほぼ終わりなのですが、異常なのが利次の勤続年数。嫡男の木下利値(※)がとっくに元服(成人)しているにもかかわらず、貞享4年(1687年)に隠居するまで実に60年以上も奉公したのです。
(※)読みは不明。直の部分で「ただ、なお」などと読むか、あるいは徳の旧字体から下心などが抜けていて「なり、のり」などと読んだのかも知れません。
家督を譲ったのが実に81歳、譲られた木下利値も相当な高齢となっていたでしょうが、その理由が「まだまだ若い者には負けんわい」という自負だったのか、「羽柴(豊臣)の残党として、息子が世間から冷遇されるのを少しでも防ぎたい」という親心だったのでしょうか。