豊臣は滅んでいなかった?秀頼の死後も豊臣の姓を受け継いだ木下利次のエピソード (4/4ページ)

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あるいは他の理由かも知れませんが、いずれにしても利次の奉公人生が決して華々しいものでなかったろうことは、想像に難くありません。

そして元禄2年(1689年)、享年83歳で世を去りましたが、その家名は木下利値⇒木下秀三(ひでみつ)⇒木下秀就(ひでなり)⇒木下利意(としおき)⇒木下利常(としつね)⇒木下利嵩(としたか)⇒木下秀般(ひでかず)⇒木下秀舜(ひでとし)……と受け継がれ、江戸時代を通じて豊臣の姓を守り抜いたのでした。

現代、木下利次の子孫がどこで何をしているのかは分かりませんが、かつて秀吉が裸一貫から天下を動かした、その証である豊臣の姓が今も受け継がれていると思うと、何だか胸が熱くなりますね。

※参考文献:
山陽新聞社編『ねねと木下家文書』山陽新聞社、1982年11月
田端泰子『北政所おね 大坂の事は、ことの葉もなし』ミネルヴァ書房、2007年8月

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