上野の寛永寺の根本中堂に日本では数少ない亀趺(きふ)が残っている (2/4ページ)
■亀趺にあしらわれている亀

青龍・朱雀・白虎と並ぶ中国の「四神」の玄武、そして霊力、瑞兆や長寿を象徴するものとする「亀」の捉え方は、漢字などと同様に日本に流入し、なおかつ、硬い甲羅を持ち、海中や水場のそばで暮らし、なおかつ普通の野生動物とは異なり、人間に対しての警戒感から、敏捷に逃げ去ることなく、静止したままだったり、緩慢な動きをなす「亀」そのものを古代人が「海の神の使者」と信じていたことと結びつき、亀の背中に乗って龍宮城に行くという、浦島太郎伝説では欠かせない存在となったり、「鶴は千年、亀は万年」という言葉と共に「縁起がいいもの」として祝い事の飾りに用いられ、今日に至っている。
■上野の寛永寺に残っている亀趺

ところで、日本においては数少ない「亀趺」だが、例えば、東京・上野の寛永寺(かんえいじ)根本中堂(こんぽんちゅうどう)内に残っている。
もともとの設置時期や場所、移設時期などの詳細は不明だというが、江戸時代前期の黄檗(おうばく)宗の僧侶・了翁(りょうおう)禅師(1630〜1707)を顕彰するための石碑だ。了翁の坐像のそばに据えられている。了翁はもともと、出羽国雄勝郡(現・秋田県湯沢市)に生まれた。仏門に入ってから、中国・福建省出身の来日僧・隠元隆琦(いんげんりゅうき、1592〜1673)に師事した後、諸国を経巡る中、霊薬「錦袋円(きんたいえん)」の処方を夢に見、それを不忍池付近の薬屋で販売する。そしてその利益を難民救済に充てたり、寛永寺内に勧学寮(今日の図書館)を設置したりした名僧だったという。
過去、偉大な業績をなした人物の顕彰碑建立は決して「珍しいもの」ではないが、台座に亀があしらわれているのが疑問に残る。