脇差は武士の命!戦国大名・伊達政宗が愛用した刀剣「鎬藤四郎」のエピソード (2/6ページ)
さて、そんな政宗が好んだ脇差の中でも、特に思い入れのあったのが太閤・豊臣秀吉(とよとみ ひでよし)の形見である鎬藤四郎(しのぎ とうしろう)。
一体どんな脇差だったのか、今回はそれを紹介したいと思います。
鎬藤四郎が伊達政宗に贈られるまで鎬藤四郎は鎌倉時代中期、京都の刀工・粟田口吉光(あわたぐち よしみつ。通称:藤四郎)によって作られた業物で、室町幕府の管領・細川(ほそかわ)氏に代々伝わる家宝でした。
吉光の名物・厚藤四郎。Wikipediaより(撮影:Kakidai氏)
鎬(しのぎ)とはざっくり刀身の側面部分(※詳しくは割愛)を言い、現存していないためどんな形状だったのかは定かではありませんが、何かカッコいいデザインなど、インパクトの強い外観をしていたのでしょう。
それが戦国時代に織田信長(おだ のぶなが)へ献上され、重臣・佐久間信盛(さくま のぶもり)に下賜されたものの、職務怠慢により没収されてしまいます。