脇差は武士の命!戦国大名・伊達政宗が愛用した刀剣「鎬藤四郎」のエピソード (3/6ページ)
信長は取り戻した鎬藤四郎を三男・神戸信孝(かんべ のぶたか)に与えましたが、信孝は兄の織田信雄(のぶかつ。信長の次男)と争って敗れ、鎬藤四郎は信雄の手に渡りました。
信雄は入手した鎬藤四郎を親しくしていた徳川家康(とくがわ いえやす)に贈り、家康はまた北条氏直(ほうじょう うじなお)へ贈ったそうです。
北条氏の滅亡後に黒田官兵衛(くろだ かんべゑ。孝高)が氏直から買い取り、羽柴秀次(はしば ひでつぐ。秀吉の甥)に献上。やがて秀次が切腹を命じられた時、秀次の近臣である不破万作(ふわ ばんさく)が「かねて『腹を切るならこの藤四郎で』と思っていました」と言うので、どうせ死ぬのだからとこれを与えました。
これでようやく秀吉の手に渡った鎬藤四郎ですが、その持ち主の移り変わりをおさらいすると、
織田信長⇒佐久間信盛⇒神戸信孝⇒織田信雄⇒徳川家康⇒北条氏直⇒黒田官兵衛⇒羽柴秀次⇒不破万作⇒豊臣秀吉
となり、その秀吉が亡くなると、その形見として伊達政宗に贈られたのでした。
これだけは譲れぬ!政宗の剣幕さて、そんな経緯で政宗の所有するところとなった鎬藤四郎ですが、よほどお気に入りだったようで、終生愛蔵したそうです。
秀吉の死後、天下の形勢が徳川家に傾きつつあることをいち早く察知した政宗は、娘の五郎八(いろは)姫を家康の六男・松平忠輝(まつだいら ただてる)に嫁がせたり、徳川家の養女・振(ふり)姫を嫡男・伊達忠宗(ただむね)の嫁に迎えたりなど、両家の交流を深めていきます。
交流をより深めるため数々の贈り物もしましたが、ある時、徳川秀忠(ひでただ。