滅ぼされたライバルの痕跡?古代天皇「欠史八代」がしばしば都を移していた理由を考察 (2/5ページ)
第2代・綏靖(すいぜい)天皇…葛城高丘宮(現:奈良県御所市)
第3代:安寧(あんねい)天皇…片塩浮孔宮(現:奈良県大和高田市)
第4代:懿徳(いとく)天皇…軽曲峡宮(現:奈良県橿原市)
第5代:孝昭(こうしょう)天皇…掖上池心宮(現:奈良県御所市)
第6代:孝安(こうあん)天皇…室秋津島宮(現:奈良県御所市)
第7代:孝霊(こうれい)天皇…片丘馬坂陵(現:奈良県北葛城郡王寺町)
第8代:孝元(こうげん)天皇…軽境原宮(現:奈良県橿原市)
第9代:開化(かいか)天皇…春日率川宮(現:奈良県奈良市)
※漢字表記は『日本書紀』による。
こうして見ると代ごとに都を移しており、遷都と言えば平城京・平安京という大事業を連想する現代人からすると、よほど財力があったのか、それともよほど都が小さかったのか、たぶん後者(※)かと思われます。
(※)そもそも「都」とは「宮処=天皇陛下のお住まいである宮の所在地」ですから、もしかしたら代ごとに引っ越しするくらいの感覚だったのかも知れません。