戦国武将の「老後と終活」を暴く〈ビックリ長寿〉島津義弘は66歳で関ヶ原を戦う (1/3ページ)

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戦国武将の「老後と終活」を暴く〈ビックリ長寿〉島津義弘は66歳で関ヶ原を戦う
戦国武将の「老後と終活」を暴く〈ビックリ長寿〉島津義弘は66歳で関ヶ原を戦う

 生死の狭間を生きざるをえなかった戦国時代にもかかわらず、人もうらやむ長寿を誇った武将がいた。そのノウハウと生き様は、現代の終活につながる知恵に満ちている。

 本能寺の変で織田信長を討った明智光秀は、羽柴秀吉の追討を逃れて生き延び、江戸時代になって家康の下で天海僧正(てんかいそうじょう)として復活したという伝説がある。

 歴史家の河合敦氏によれば、

「江戸時代の中期頃の『翁草』という随筆に、光秀は生きていたという記述がありますが、天海=光秀説は、ありえない。でも天海が100歳を超えて長生きしたのは確かなようです」

 一方、天海=光秀説を信じるという戦国大好き芸人の桐畑トール氏は、

「天海和尚は長生きの秘訣を、2代秀忠、3代家光に向けて『長命は 粗食 正直 日湯 陀羅尼(だらに) 時折りご下風遊ばさるべし』と教えた。まずは粗食、質素な食事をして毎日風呂に入る(日湯)、お経を読む(陀羅尼)、最後にたまに屁をこけ(下風)なんてことを言っているんです(笑)。溜め込むのはよくないからってことで、家康が健康オタクになったのも天海の影響なんでしょうね」

 ちなみに、家康に贈ったと伝わる天海養生訓は以下のごとくだった。

「気は長く 勤めは堅く 色うすく 食細くして こころ広かれ」(気は長くもって、仕事は堅実に、欲望(色)は薄く、小食、粗食で、心は広くもて)。現代にも通じる普遍の真理というべきか。

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