戦国武将の「老後と終活」を暴く〈老いの哲学1〉今川氏真は親の仇・信長を「蹴鞠」接待 (2/4ページ)
晩年は、秀吉の御伽衆(おとぎしゅう)として、話し相手になって61歳で亡くなっています」(河合氏)
信長の弟の一人である織田有楽斎(おだうらくさい)は本能寺の変で信長が討たれた時、二条御所で、信長の長男・信忠には切腹を勧めながら、自分は逃げて生き延びている。
信長の死後、秀吉のお茶の先生として御伽衆になり、その後、妹であるお市の子である淀殿と秀頼とは、親戚ということもあり、大坂城にとどまった。だが、夏の陣の前には京都に逃げ、有楽流という流派を開いて茶人として生きていくことに。
「兄貴があれだけ優秀だと、武将としての野心や能力もかなわないと諦めて、戦国の真っ只中にあって自分の好きなお茶一本で生きると決めたという意味では、うらやましい老後だとは思います」
こう語る桐畑トール氏は返す刀で、
「その反対に黒田官兵衛は、あれだけ秀吉に尽くしたのに、優秀すぎて秀吉に遠ざけられ、九州に隠居することに。関ヶ原の時には、ワンチャンありで、九州で挙兵しながら、関ヶ原の戦いが早くに勝敗がついてそれもダメになった。ツイてない。