戦国武将の「老後と終活」を暴く〈老いの哲学1〉今川氏真は親の仇・信長を「蹴鞠」接待 (3/4ページ)
才能があっただけに残念な老後ですね」
さらに織田信長の次男・織田信雄(のぶかつ)は、秀吉に転封を命ぜられるも、これを拒否。領地をすべて没収され、後に秀吉のところで、これまた御伽衆となっている。
実は、御伽衆を最も多く抱えたのが秀吉だ。再雇用の最大の受け皿=御伽衆かと言いたいぐらいで、耳学問への秀吉の欲求の強さも窺える。
大坂冬の陣では大坂城にいて、直前に京都に逃げ、嵯峨の龍安寺に引き籠もる。その後、3代将軍・家光の茶会に参加したり、京都で悠々自適の生活を送って73歳で没した。
野心を捨て、分をわきまえた人物として、河合氏は中国地方の覇者・毛利元就の名を挙げる。
「毛利元就も75歳と長命ですが、心配性で、安芸国(あきのくに)を守るには隣の国を抑える必要があるということをやっているうちに、なんとなく10カ国を支配した。もともと天下統一などの野心はなかった人物です。次男の吉川元春や三男の小早川隆景らには、『天下を狙うな』と遺言したといいます」
高望みしないのも、生き延びて、老後を全うする秘訣なのかも。