神にも鬼にもなる牛 牛を祀る神社や牛に関連した神事を調べてみた (3/6ページ)

心に残る家族葬

または、この地で薨(こう)じ、同社に祀られた清和天皇の第七皇子・貞辰親王(874〜929)を「大人(うし)」と尊称し、そしてその陵(みささぎ、墓所)と称していたのを、音が同じ「牛(うし)」、そして「岬」同様「御前(みさき)」となり、「御前(ごぜん)」になってしまったという説など、さまざま存在する。

それらに加えて牛嶋神社には、不思議な言い伝えがある。江戸の元禄〜正徳期(1688〜1716)に成立したとされる浄瑠璃、「丑御前(うしごぜん)の御本地(ごほんち)」がベースとなっていると考えられるものだ。

■牛嶋神社に伝わる丑御前の御本地とは


それは、平安時代中期の武将・源満仲(みつなか、912〜997)の次男・丑御前が、母親の胎内に3年もとどまり、生まれたときも、鬼神のような恐ろしい風貌を備えていたことから、満中は殺してしまおうと考えた。それを不憫に思った丑御前の母親が、大和の金峯山(きんぶせん、現・奈良県吉野郡)に住む乳母の「すさき」に託し、ひそかに養育させた。15歳になった丑御前は丈高く、勇猛な少年に成長し、手下の者を引き連れて、暴れまわるようになった。その結果、時の帝によって追討命令が出されることになった。丑御前は乳母のすさきや手下を引き連れ、東国に落ちのびることになる。だが、満仲の長子で名うての武将・頼光(よりみつ、944〜1021)に追い詰められる。接戦の末、観念した丑御前はすさきと共に隅田川に飛び込み、自ら命を絶った。しかしその恨みの念は強く、遠く離れた京の都まで雷のように轟き渡り、多くの災害をもたらし、人々を困らせたという。それを憂えた帝によって、丑御前は「荒人神(あらひとがみ)」、乳母のすさきは「すさきの明神」として祀られ、毎年8月8日に神事を行うようになったという物語だ。

そして牛嶋神社に伝わる伝承は、鎌倉時代の建長年間(1249〜1256)に隅田川から牛鬼のような異形の者が現れて、川沿いを走り、牛嶋神社に飛び込んだ。そして境内にひとつの玉を残していったというものだ。

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