神にも鬼にもなる牛 牛を祀る神社や牛に関連した神事を調べてみた (4/6ページ)

心に残る家族葬

その話はおそらく、『吾妻鏡』(1300年頃成立)建長3(1151)年3月6日条に、牛嶋神社から、隅田川を挟んで対岸にある浅草寺に、牛のような者が突然現れ、寺の僧侶たちを襲い、多数の死者が出たという記載が元になっているのだろう。牛が残していったとされる「牛玉」は、普段は一般には非公開であったものの、病災にご利益があるということで、祭礼の折には御開帳され、人々の信仰を集めていたという。

■大阪府東大阪市の石切劔箭神社の献牛祭

浄瑠璃や牛嶋神社における「牛」観とは異なるが、牛そのものを神と捉えたものや、また、牛が絡んだ神事は、日本各地で行われてきた。例えば、毎年7月2日に行われる、大阪府東大阪市東石切町の石切劔箭(いしきりつるや)神社の「献牛祭」だ。今日では発泡スチロール製の牛を用いているというが、昭和初期まで、田植えで働いた牛の労をねぎらうため、紅白の幣帛(へいはく)や錦絵、鈴などで生きた牛を飾り、ともに神社に参拝して五穀豊穣・家内安全を祈っていたという。

■福岡県みやま市に祀られている丑御前さま


また、福岡県南部のみやま市瀬高町上庄(せたかまちかみのしょう)には、「牛御前(うしごぜ)さま」が祀られている。それは、田んぼ脇の小さな林の奥の祠に据えられた、高さ108cm、幅34cmの、上部に如来坐像の浮き彫り、下部に「南無阿弥陀佛」と刻まれた石碑だ。「ここ」そのものは、『旧柳川藩志』(1957年)によると、戦国時代に領主・黒木氏の城館が建てられていたとも、古戦場跡とも言い伝えられているのだが、この石碑が何の神仏を祀ったものかは不明であるという。しかしこの地には、平安時代末期〜鎌倉時代の女流歌人の待宵小侍従(まつよいのこじじゅう、1121頃〜1202頃)と浄土宗の僧・行空(ぎょうくう)上人(生没年不詳)にまつわる古伝がある。

待宵小侍従が初代黒木城藩主・黒木大蔵大輔源助能(みなもとのすけよし、生没年不詳)との間に子どもを生んだ。その子が牛に似ていたことから、殺して葬ることにした。

「神にも鬼にもなる牛 牛を祀る神社や牛に関連した神事を調べてみた」のページです。デイリーニュースオンラインは、社会などの最新ニュースを毎日配信しています。
ページの先頭へ戻る