武士の身分を剥奪、首級を晒され…明治時代、日本の法律整備を急いだ江藤新平の最期 (4/4ページ)
ますらおの 涙を袖に しぼりつつ 迷う心は ただ君がため
【意訳】大の男が情なく未練の涙に袖をぬらしているのは、ただ天皇陛下=日本国の行く末を思うゆえなのです。
これは新平が詠んだ辞世ですが、天下の政権をほしいままにする大久保は、自分たちに真っ向から逆らった新平が許せません。
そこで彼の整備した法律を踏みにじるかのように、まともな裁判もせず処刑を決定。除族(じょぞく)の上で梟首(きょうしゅ)とします。享年40歳。
除族とは武士の身分を剥奪する(士族から除く)こと、梟首とは斬首した首級を晒すことで、大久保は悪趣味にも、千人塚に晒された新平の生首写真を大量にばらまかせました。
晒された新平の首級写真。「俺様に逆らう者はこの通りだ!」大久保の高笑いが聞こえてきそうである。
「江藤醜態笑止なり」……大久保は日記にそう書いたそうで、この振る舞いが全国の心ある者たちをして憤激せしめ、不平士族による決起挙兵が相次ぐことになります。
新平の目指した公正な社会が実現するまでには、まだまだ遠い道のりが続いているのでした。
※参考文献:
斎藤孝『幕末維新 志士たちの名言』に刑文芸文庫、2014年2月
毛利敏彦『江藤新平 急進的改革者の悲劇』中公新書、1987年5月
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