なんと側室300人!豊臣秀吉の女性選びが、他の戦国大名とちょっと違った理由とは? (1/4ページ)
戦国時代きっての「女好き」といえば、多くの人が天下人・豊臣秀吉(とよとみ ひでよし)を思い浮かべるかと思います。
事実、秀吉の側室はその生涯で300人もいたと言われており、天下を獲った結果として女たちが集まったのか、それとも女漁りの結果としてたまたま天下が獲れてしまったのか、とも思えるありさま。
さて、そんな秀吉の女性選びは、戦国時代の常識からは少し違ったそうですが、一体どんな基準で選んでいたのでしょうか。
秀吉が女性選びで重視したのは「家柄」と「美貌」現代でも「いいところのお嬢さん」なんて言うように、結婚相手を選ぶ際にパートナーの家柄を重視する方は決して少なくありません。現代だと「名門かどうか」よりは「いかがわしい人物が身内にいないか」の方が重要でしょうけど。
秀吉は百姓の倅(諸説あり)と言われたように卑しい出自を嫌っており、その身辺に高貴な者たち(※)を侍らせることによって、自分のブランド力アップ・コンプレックス解消を図っていたと言われています。
(※)秀吉はあまり男色には興味がなかったようですが、かつてのライバルや自分より格上だった者たちを「御伽衆(おとぎしゅう)」として侍らせたことは有名ですね。