関ヶ原の戦いで敗れた宇喜多秀家が誰よりも長生きできたのは、島流しのお陰? (3/5ページ)
「あぁ、白い米が懐かしい……」
飢えた時にはお米を食べたくなるのが日本人というもの(イメージ)
ある時、八丈島の代官(彼らには本土から食糧の支給があります)が白米のおにぎりをご馳走してくれた時、秀家は二つとも食べてしまわず、一つを懐中に入れて家臣のために持ち帰ったり、嵐のために八丈島へ避難してきた福島正則(ふくしま まさのり)の家臣に酒を恵んでもらったりなど、涙ぐましいエピソードが伝わっています。
そんな貧乏暮らしであれば、あまり長生きは出来なさそうですが、秀家はしぶとく49年もの歳月を耐え抜いたのです。
(実は妻の実家・前田家から、多少なりとも仕送りを受けていたという説もあります)
人生五十年と言われた時代、平穏に暮らしたって49歳まで生きるのは大変なのに、いったい何を食べたらそんな長生きできたのでしょうか。
長生きの秘訣は八丈島のアシタバ?極貧生活の中で秀家が食べていたのは、八丈島の名物・アシタバ(別名:八丈草、長寿草)。
漢字で「明日葉(明日草、明日穂とも)」と書かれる通り、今日葉を摘んでも、明日には新しい葉が出てくるほど生命力が強く、ビタミンやミネラル、食物繊維など栄養を豊富に含む健康食品として、現代でも重宝されています。