関ヶ原の戦いで敗れた宇喜多秀家が誰よりも長生きできたのは、島流しのお陰? (5/5ページ)
我が所領を10万石お分け申すゆえ、お戻りにならぬか」
宇喜多秀家。大名よりも、八丈島の暮らしが性に合っていた?(イメージ)
しかし秀家はこれを辞退。たとえにっくき家康が死んだと言えども、徳川家に仕えるなんてまっぴら御免という意地か、それとも八丈島での暮らしが意外に快適だった(むしろ大名になんて戻りたくなかった)のかは分かりません。
そして関ヶ原の合戦から半世紀以上の歳月が過ぎた明暦元年(1655)11月20日、秀家は84歳で世を去ったのですが、世は既に江戸幕府の第4代将軍・徳川家綱(いえつな。家康の曾孫)の時代となっていました。
「ケンカってのは最後に立っていた奴の勝ちだ」
※原泰久『キングダム 19』より
かつて激しく天下を争った者たちは敵も味方もほとんど死に絶え、最後の最後まで生き抜いた秀家こそ、戦国乱世の終焉を見届けた真の勝利者だったのかも知れませんね。
※参考文献:
浮田丈男『封じ込められた宇喜多秀家とその一族』文芸社、2001年3月
大西泰正 編『シリーズ・織豊大名の研究3 前田利家・利長』戎光祥出版、2016年8月
永山久夫『武将メシ』宝島社、2013年3月
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