関ヶ原の戦いで敗れた宇喜多秀家が誰よりも長生きできたのは、島流しのお陰? (2/5ページ)
八丈島。流された宇喜多秀家が、その後故郷の土を踏むことはなかった(イメージ)
かくして八丈島の厳しい大自然を相手に、秀家の新生活は幕を開けたのでした……。
「白い米が懐かしい……」秀家の極貧生活本土と遠く離れている地形上、生活環境に一定の制限がかかってしまうのは現代も同じですが、当時の八丈島はそれ以上に条件が悪く、秀家は苦しい生活を強いられたと言います。
(まぁ、島流しですから、そうでなくては刑罰の意味がありません)
水が少ないため稲作はできず、やせた土地でも育つ稗(ひえ)や粟(あわ)といった雑穀を細々と収穫し、ほか魚介類や山菜などの採取によって糊口をしのいでいたそうです。