あの渋沢栄一をして「無学の偉人」と言わしめた、三井財閥中興の祖・三野村利左衛門とは? (4/5ページ)

Japaaan

利左衛門が大局を見ることにおいて非凡なものを持っていたことが、結果、日本に大きな財産を生むことになったのは言うまでもないでしょう。

時は明治に移り、三野村利左衛門は「銀行」という、これまでの日本にはなかった大事業に尽力します。明治新政府の金融政策を支えていた三井組は利左衛門の指揮のもと、三井組独自で運営する銀行の設立を目指します。

第一国立銀行 Wikipediaより

小野組との合資による第一国立銀行の設立を経て、後に小野組が倒産したのを機に、利左衛門は三井組による「三井銀行」設立を達成させます。

この三井銀行が誕生する背景は、第一国立銀行が発足した直後、世界的な金融高騰のあおりを受け、兌換要求が殺到。まだ日本の銀行が発行する「紙幣」という紙に信用がなかったのでしょう。これに銀行側は対処することができず、小野組は力尽き倒産します。

逆に、利左衛門はこれをチャンスと見ると、政府に働きかけ急場を凌ぐと、第一国立銀行の実質的な支配者となりました。しかし、この時の大蔵省官僚であった渋沢栄一は、合同出資としての銀行を目指していたため、「銀行は三井の銀行にあらず」と激怒したと言います。

ちなみに、「バンク」を「銀行」と訳するにあたって、三野村利左衛門と渋沢栄一との間で議論がなされました。

「あの渋沢栄一をして「無学の偉人」と言わしめた、三井財閥中興の祖・三野村利左衛門とは?」のページです。デイリーニュースオンラインは、三野村利左衛門幕末明治時代経済カルチャーなどの最新ニュースを毎日配信しています。
ページの先頭へ戻る